SET-Jとは

プログラムの目的、内容など
在ボストン日本領事館、ボストン日本語学校、メッドフォード教育委員会が後援してアメリカ人教員を日本に派遣して、日本の教育、文化、習慣などを見聞きしてもらうプログラムがありました。ローレンススクールもそのプログラムに参加し、過去に校長先生、副校長先生、教育委員長、二名の先生が派遣されました。1999年には上記後援によるプログラムが終了してしまいましたが、2002年よりローレンススクールにSET-Jを立ち上げ日本人保護者の運動により継続しております。多くのアメリカ人にとって、日本は遠い上に言葉も生活様式も全く異なります。アメリカ人教諭に日本の習慣、文化や教育を理解してもらう事にこの派遣は大変大きな影響を及ぼしています。日本では、約10日間かけて各地を回り、平和記念資料館や小中学校などの訪問、ホームステイも体験します。日本全国に数百人いるローレンス帰国生、ご家族の方々、またはSET-Jの活動に興味を示してくださる他機関のご協力を頂いて、アメリカと日本での連携を取り合いながら、毎年この派遣旅行を行っています。派遣された教諭は、この貴重な体験を、毎年、全校生徒、保護者へ報告しています。

2025年7月8日火曜日

7月8日(火) 広島(原爆ドーム、宮島等)

広島県でアテンドくださいました末平さんから当日の様子とお写真を共有いただきましたのでご紹介させていただきます。


 7月8日朝、先生が滞在しているホテルのロビーで待ち合わせをして、平和公園に行くために路面電車に乗りました。

原爆ドーム前で通訳の畝崎さんと会い、千羽鶴を奉納するために原爆の子の像に向かいました。皆の気持ちがこもった千羽鶴を先生が丁寧に納めてくださいました。


今日は日差しが強くとても蒸し暑い日だったので、碑巡りは少なめにと通訳の方がアレンジしてくださいました。平和の鐘、レストハウス、原爆死没者慰霊碑を巡り、9時過ぎに平和記念資料館に入りました。先生は1時間半かけて、じっくり見学されていました。

その後、研修室に移動し、被爆講話を聴きました。

講話をしてくださった八幡さんはとても素敵な方で、優しい笑顔で私たちを迎えてくださいました。8歳の時に原爆で辛い体験をされ、その記憶が80年経った今でも鮮明に残っているそうです。

先生は体験談を聴き、想像もできないような体験をされて、悲しい、辛いとの感想を述べられ、原爆が投下された後の学校再開についてなど質問されていました。

戦争で壊されたものは作り直すことができるけど、亡くなられた人々は戻らない、八幡さんのこの一言が印象に残りました。

平和公園を離れ、昼食のために広島焼きのお店に行きました。広島焼きを調理しているところを一緒に見たかったので、鉄板の前のカウンター席に座りました。目の前で自分たちのお好み焼きが作られるのを先生も楽しそうに見ていました。

昼食後、路面電車とフェリーに乗って宮島に着きました。

まずは鳥居のところに行きました。ちょうど干潮時だったので、小さなカニやヤドカリを見ながら鳥居を触りに行くことができました。

社殿内をゆっくり回った後、冷たいものを食べたり、世界一大きなしゃもじを見に行ったり、お土産屋さんに立ち寄りながら桟橋に向かいました。桟橋近くで鹿をなでることもできました。宮島に着いてすぐに鹿がいたので、もし先生が紙を持っていたら鹿が食べにくるから注意してねと話したのですが、フォトスポットで写真撮影している人の後ろポケットから紙を抜き取ってもぐもぐ食べる鹿を目撃したり、レストランの入り口にドーンと座っている鹿がいたりと鹿にはいろいろ楽しませてもらいました。

帰りのフェリーでは心地よい風が吹き、電車の中は涼しくて、快適にホテルまで帰ることができました。

今日はたいへん充実した一日を過ごすことができました。娘が先生と楽しそうに会話している姿を見れたのも親として嬉しいことでした。このような貴重な機会を与えてくださったSET-Jの皆さま、亜希子先生、どうもありがとうございました。


皆様にご協力いただき作成した千羽鶴を今年も無事奉納いただいたとのこと、Moodie先生、末平さん、皆様、改めまして本当にありがとうございました!日本でも有数の観光名所を回り、きっとMoodie先生の記憶に残る一日となったことと思います。気候や先生の体調等をお気遣いいただきながらのアテンドを務めてくださった末平さん、ありがとうございました!Moodie先生の旅はまだまだ続きますので、乞うご期待ください!

SET-J一同

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