SET-Jとは

プログラムの目的、内容など
在ボストン日本領事館、ボストン日本語学校、メッドフォード教育委員会が後援してアメリカ人教員を日本に派遣して、日本の教育、文化、習慣などを見聞きしてもらうプログラムがありました。ローレンススクールもそのプログラムに参加し、過去に校長先生、副校長先生、教育委員長、二名の先生が派遣されました。1999年には上記後援によるプログラムが終了してしまいましたが、2002年よりローレンススクールにSET-Jを立ち上げ日本人保護者の運動により継続しております。多くのアメリカ人にとって、日本は遠い上に言葉も生活様式も全く異なります。アメリカ人教諭に日本の習慣、文化や教育を理解してもらう事にこの派遣は大変大きな影響を及ぼしています。日本では、約10日間かけて各地を回り、平和記念資料館や小中学校などの訪問、ホームステイも体験します。日本全国に数百人いるローレンス帰国生、ご家族の方々、またはSET-Jの活動に興味を示してくださる他機関のご協力を頂いて、アメリカと日本での連携を取り合いながら、毎年この派遣旅行を行っています。派遣された教諭は、この貴重な体験を、毎年、全校生徒、保護者へ報告しています。

2023年6月30日金曜日

広島訪問(6/28)

SET-Jメンバーの正木さんから、広島訪問のご報告をいただきましたので、ご紹介いたします。


7時38分に博多からの新幹線で広島駅に到着。

Centore先生の宿泊するHotel Granvia広島は駅と隣接しており、徒歩2、3分でロビーで会うことができました。


チェックアウト、荷物を預けて、広島駅南口に向かい原爆ドーム行きの路面電車に乗りました。電車に揺られること20分。原爆ドームに到着すると、畝崎さんがすでに待っていました。

生まれも育ちも広島である畝崎さんの言葉はとても重みがあり、私達四人はただひたすら彼女の言葉に耳を傾けていたような気がします。

  


爆心地、平和公園碑を巡り、平和記念資料館に入ると、畝崎さんに、「とても衝撃的写真が展示されていますので、お子さん達は20分ぐらいの閲覧のほうが良いかと思います。」とアドバイスを受けました。その後、畝崎さんは奉納する花の受け取りに行かれたので、私達四人は一緒に中に入ったものの、いつのまにか一人一人別行動になっていました。


確かに、直視するには辛すぎる写真がかなりあり、涙が溢れそうになるのをこらえながらひたすら前に進んで行ったので、Centore先生、舞斗やCatelineがどのような思いで、また、表情で閲覧していたのかうかがい知ることはできませんでした。

閲覧室を出てから目に入って来た外の景色があまりにも鮮明で、思わず写真を撮ってしましました。

慰霊碑に献花をし、その後、8歳の時に爆心地から2.5キロの自宅で被爆された八幡照子さんの講話を聞きました。


「自分の言葉で伝えてたいから。」と、英語で一生懸命力強い声でお話される八幡さんのお姿に感銘を受けました。

被爆した後も、お父様だけ広島に仕事のために残り、5年間他県に住まなければならなかったこと、広島に戻り家族全員で暮らせるようになっても、食糧不足で食べ物を確保するのに大変苦労したこと、ご両親は被爆者としては長生きしたが、さまざまな病気に苦しんだ事などを語ってくださいました。

「どうして、85歳という高齢になった今でも被爆講話のお仕事をされているのですか?悪夢のような体験を語るのは辛くて辞めたいと思ったことはないですか?八幡さんのその強さを一体どこから来るのでしょうか?」

と、私達が尋ねると、

「被爆した幼い同級生や友達が、こんなひどいことをした仇を取ってくれ。と言って死んでいきました。でも、憎しみからは何も生まれません。世界平和のためにお互いが歩み寄って、手を取り合って、前に進むことが大事。舞斗くんやケイトちゃん達のような子供が戦争で苦しむことのない未来にしたいから。」と、おっしゃっていました。

 

最後に、千羽鶴を奉納して、さだこさんを見上げると、彼女が微笑んでくれているように見えました。


今回通訳ガイドをして頂いた畝崎様、アテンドをしてくださった正木さんご家族、お忙しい中誠にありがとうございました。SET-Jの旅程では欠かせない広島訪問ですが、Ms. Centoreにとっても、一生心に残る経験になったのではないでしょうか。御本人による感想などについては、こちらからご覧ください。

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